欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

9月28~29日 そういう人生

9月28日(水)

今日の計測では微減。二百グラムの減だ。摂取量は悪くなかった体感でも、快くはなかったか。

朝は抑えられ、昼前は食欲があったものの、そこで満腹になってしまう。一膳を多く盛ったのを撤回できず、早期膨満に対応できなかった。それでいてするすると食べられる感じもある矛盾。

その後はスポドリで収められ、夕方には空腹になったものの、少し負債はたたっていた。程よい満腹で抑えたつもりだけれど、嫌なきつさがある。腹は膨らんでいたけれど、快さがないと肥えはしない。

 

明日の朝からまた零からだ。今朝もそうやって抑えられたものの、それで食欲が出たのが裏目に出たか。どうにも難しい。

とにかく昼を抑えること。朝は抑えれば良いし、夕食がたたったとしても、その次の朝もまた抑えれば良い。とにかく夕食で快さがないと肥えない。

 

早く大台に戻りたい。それは三日で到達するのではないか。その夕食での快さ三日だ。そこからもう五百グラム増えれば以前と同じ。すんなり右肩を維持できなくとも、過度な無理がなければ到達するはず。一週間は意識の暴走を抑えること。それが鍵だ。

9月29日(木)

今日の計測では増えたか減ったか不明。よく解らない体重計の振れ幅。良い方で大台から三百グラムの減。どちらにせよ、今日もまた昼食で失敗をする。

朝はパン一本で明確に抑え、その後は早くに空腹となる。それで昼は食欲があったものの、五口足らずで胃がきつくなる。これは早期膨満のようだけれど、どうにも以前とは違う感がする。そこからゆっくりと摂り進めたところ、抑えられなさそうな感じもない。それで用意した量を収めてしまう。

 

その後は強めの満腹感がある。調子が良ければ一時間で楽になるところを、三時間経ってもまだきつさがある。それでも夕方には空腹になり、夕食は摂取を落として収める。それで痩せずには済んだところ。

昼はどうすれば良かったのか。好調コンプレックスが働いたのは確かでも、それを収めるのも難しそうだった。そもそも用意していた量が少なかったのに、それすら収められないのは堪えられない。

でも、それが意識による愚かな選択か。そこで無理をしなければ、すぐに間食を摂れ、夕食では食欲があったはず。その選択が賢明だったか。

ただ、その用意していた量は、ごはん一膳、味噌汁一杯、目玉焼き一つ。それでも明確に食べすぎない方が良い?そもそもなぜ早期膨満になる?食べ進めると上腹部が膨らむのが正常。それを伝える神経伝達物質が狂っているのか?

 

ストレスとコンプレックス。近くに居場所があればすぐにでも治るようなもの。それがここまで尾を引くとは思わなんだ。それが結果として人生に実りをもたらす?それが幸せに一役買い、苦しみがなければ得られないような喜びを手にする?

どうしてもそうは思えない。既に十代の日々は失われた。何も思い出がないのは辛い。自活は何とか挽回できるにしても、その時しか費やし得ないものはあるはず。

 

とにかく無理をするのが発端でも、それはもうどうしようもない。生理的に負の循環にでも入っているかもしれない。それにしても手の施しようがない。

本来は障害を認められても良いし、診断では著しい困難も認められるはず。それは家で軽食作りか選択しか出来ないもの。そんなものだ。だったらもう無理しなくて良いし、そういう人生だと受け止めるしかない。