欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

10月6~7日 持ち直す常 遅れる満腹

10月6日(木)

今日の計測でもまた減少。夕食後は快く腹が膨らんだ体感でも、意に反してまた痩せている。腰をくびれさせるとえぐれるも、下腹部には厚みがあった。それで大台の復活を想像したのに、数字が見慣れないものに変わる。

これで大台から七百グラムの減。「体重計が狂ったか」と感じても、大抵そうでないのがこれまで。気持ち的にかなりショックを受けている。危険領域というのはあるだろう。流石に気が気でなくなる。

 

最近では珍しく、今朝は朝食で少し満腹になってしまう。ここ何日か好調な摂取が続いたからだろう。それを崩すまいとしてしまう。でも、崩すとなるとパン一本だから仕方ない。

それが明らかな負債にはならなかったものよ、昼はあまり振るわない。やはりどこか影響はあったか。摂取量は軽視しても良いから、快い摂取を心がけたい。

 

昼と夕では一膳を落とせているものの、まだその後に間食を摂れない。まず摂りたい感じにならないし、無理をするのも違うだろう。それは胃がフラットになるための過程なのか?

流石に怖くなる。ただ、散歩へも少し出たし、風呂にも問題なく入れる。何もしなくても辛くはなく、衰弱の末期状態と比べれば良い方だろう。衰弱して死ぬことはないはず。でも、いつ心臓が限界を迎えるか分からない。たまに胸を圧迫すると頻脈になるし、そうなったらどうなるのか。

 

一膳を落とせば摂取も落ちるし、なるべく摂ろうとしてもじり貧になる。もうどうしようもない。ただ、それで良いとも思う。何回も繰り返すように、それが不自由で病気のある人生だ。それで事切れても仕方ないし、もう抗えるものではない。

明日からまた摂り進めるだけ。意識が介入できるほどそれは賢くない。上述のように、食欲を落として状態を整えているのかもしれない。どうせすぐ持ち直すのが常。悲観しすぎたら呆れられる。

 

ふとしたメモ。先日にGoogleアナリティクスを導入してみた。それで苦慮しながら自分のアクセスを除外するも、結構なアクセスになっている。個人的はそうで、何故はてなの解析でそうならないのか。自分のアクセスもあれど、iOSのアクセスがあったり、地方都市からのアクセスがある。

実は読んでくれている人がいる?そうならば嬉しいけれど、自分でも自分の書くことに飽きている。それは何とかしないといけない。体調をまとめつつ、気付きや思考を散りばめる。それをフローのメディアとして更新し、重要なエッセンスはコラムとしてストックする。それを今までにやれば良かったけれど、未熟だったから仕方ない。

10月7日(金)

今朝は目覚めたときにげっぷが溜まっていたものの、漢方を飲んでも不快にならずに済む。それで朝食はするすると摂れ、快く収められる。やはり食欲があるだけで違う。これが常にならないものか。

天気は曇天で、歩くことなく昼まで過ごす。いつもより早くスポドリを飲んだものの、食間の空腹感はそこまでだった。

 

昼も調子よく摂れ、程よい満腹になったと感じたけれど、だんだんと満腹感が強まってくる。こういうことはある。そういえば早期膨満があったか。それで間食は摂れず。

夕べは寝る前に久し振りのヤクルトを飲む。それでもまだ甘味が欲しく感じ、チョコでも摂ろうかと思ったものの、何とか抑える。そこまでの調子ではないし、遅れてやってくる満腹感を思い出した。そしてその判断は的中する。満腹小話。

 

今日の計測では微増。一日を通して悪くない摂取であり、単純に安堵できる。過度な無理さえなければ調子は上向く。それも分かっていたけれど、そこまで病的ではないと理解できる。大台までは五百グラム以上あるものの、まず一安心。

昼食後に満腹感が強まったものの、スポドリを飲みすぎなかったのもあり、夕方には空腹になる。それも効いて夕飯は快く収められた。内部信号をよく聴いているか?そんなこの頃。

 

今朝は読書に身が入らず、長く動画を見てしまった。ノートに気付きを書いたりはするも、それでは何の足しにもならない。その虚しさと焦りとエネルギー。

必要なのは没頭による楽しさ。それに必要なのはスキルだろう。それがないと課題解決が出来ず、面白さを感じられない。上達もそれに含まれるだろう。だから何かに取り組みたいけれど、何をすれば良いか分からない。気付きはあっても行動にならない。

 

好きなことの単体は意欲であるはず。それは惹かれて興味を感じるもので、それ自体で楽しさを得られはしない。必要なのは得意によるスキル。自分にあった作業のやり方で、好きにまつわることの上達をする。

そこに課題解決がある。あるいは稼ぐことをゲーム感覚で取り組むかだけれど、その意欲がない。本当に稼ぎたくあるのか?経済的に豊かになりたいし、没頭したくもあるけれど、難しさで億劫になる。

 

医学や身体、自活と天職の本質を学びたくあり、それをまとめるのは容易。でも、書評やコラムをまとめるのに意欲が出ない。前者には新たなスキル開発が必要で、後者には好きの意欲があるはずでも、また別のスキル化が必要。

それに取り組むのが億劫すぎる。それは得意でないため?好きでないから?本質をまとめるのは好きであり、得意でもある。学ぶ意欲もあるし、それをまとめるのも簡単。

これしか得意がないように思えるけれど、果たしてそうなのか。それらは時間をかけたから習熟したもので、書評やコラムを書くのもそうならないか?それが簡単に出来る作業になれば、他から突き抜けるはず。

 

読書の要点をまとめるのは億劫でも、それをしないと学びが定着しない。やる意味はあるのだし、やったら成果にも繋がる。

恐らく今が最もきついときで、何とか鍛練してスキル化すれば峠は越える。それが書評やコラムになり、メディアのコンテンツとなる。それで人が集まれば、広告価値がつくはず。

やるべきことは読書・論理のノート。それが簡単な作業になれば良い。今の知識量でも他と差があるはず。後はそれを簡潔にまとめるだけ。

 

書評とコラムに価値がつけば、他のコンテンツやサービスも生めそう。そうすれば何とか身を立てられるのではないか。

成果ありきでやること=インプット・アウトプットを定め、ひたすら努力していく。初歩の課題解決したいものの、それを与えてくれる先達がいないなら、とにかくある日の熟達に向けて励むしかない。

 

参考文献