欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

10月20~21日 一食の抑えと補い 真の底

10月20日(木)

今日の計測は変わったのか減ったのか。何回も計ると昨日より減ってしまう。夕食はよく摂れたはずなのに、全く肥えていない。

今日は不調の兆しが多かった。散歩に出たら早くにきつくなり、図書館の手前で折り返してしまう。そして昼には二回も頻脈になる。後者はそれが収まってもまだ違和感がする。何だか不快で不安だ。もうよく分からない。

 

このまま全く肥えないのか?冬場は特に上向かないし、どうなってしまうだろう。春までこの調子か?散歩に出て調子を上げるのも難しくなった。

一食を抑えて間食を摂ろうとしているものの、それが上手くいきだすとこうなる。一食でそれなりに摂った方が良いのか。かといって、それが噛み合うと満腹になりだす。

 

無理をしないようにすれば、ほぼ一汁一菜を摂れる。それだと小柄な女性の一食か、小学校低学年の給食くらいになる。それだけでも摂れたら良くないか?これ以上はどうしようもない。不自由のある人生としては十分だけれど、とにかく死にたくはない。

10月21日(金)

今日の計測では更に減少していた。大台から一キログラム減で、ここが大台のように錯覚してしまう。真の最低の底がここだ。

以前はここから数百グラム落ちたはずでも、それはとても危険。午前は到底歩きに出られず、胸の不快感がずっとあった。昼と夕方は楽になったものの、肝心の夕食後に腹が膨らまない。

 

問題なのは朝食で、久し振りに負債がたたってしまう。それは寝る前の摂取によるもので、牛乳を余分に摂ってしまった。

入浴後の腹は空腹に近かったものの、そこまでではあった。多少の摂取ならよかったはずでも、コップに注ぐ量を見極められない。ほんの一口のはずでも、それが寝る前にはきつく溜まっていた。

 

翌朝は最悪の状態でなかったものの、パンをいつもの八割しか収められない。いつもは細いそれ一本のみ。それが影響したと思う。

それでいて昼は早期膨満が全くなく、食後の余裕はそれなりにあった。そこから気を遣れたのが影響した?どれほど栄養がなくとも、全精力は至上の生命活動に捻出される。

ただ、栄養がないと身体を分解してしまうようだ。もう次世代さえ残せたら良いのか。この身体は捨てても良いと。生きるのは常に綱渡りであり、そんな人が今もいる。直接それで事切れずとも、この世界は未だ脅威がある。

 

一口をはやれば影響が大きく、懲りて抑え続けても痩せる。常にほどよく収め続けなければならない。それが出来ない疾患だというのに、もうどうしたものか。

一食を抑えるというのは、それ自体に効果があったとしても、その分を間食で補ってこそのもの。そこを意識すればよかった。でなければただのダイエットでしかない。

昨日も記したけれど、そのような病態は仕方なくとも、せめて廃人のままでいたい。そこから本当に死んでしまうのは嫌だ。これからよくなるか心配。