欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

11月4~5日 それぞれの状態 タンドスピロンについて

11月4日(金)

今日の計測では変わらず。尿量がまたあったものの、下腹部の厚さは変わらなかった。大台まで五百グラムで、少しは肉が付いているはず。次の診察はまともに迎えられそう。まず最低限の体重に達し、出掛けなどでの強度を維持すること。

今日も三食で程よく摂れた。まだ間食は摂れないものの、それでいて下腹部が膨らんでいる。頻脈の気配もなくなった。体力も少し安定しているか?

 

朝食ではパン一本より摂れそうだった。そこをまた抑えたけれど、昼食まで強い空腹を感じるわけではない。そこでヤクルトは飲めなかった。

ただ、昼食前は空腹になっていて、それが一般的にかなり早い時間になる。それが何とかならないかだ。間食を摂るべきでも、そこまでの状態ではない。

 

今日は昼で無理することはなかった。そこからスポドリで収めると、夕方の早い時間に空腹になる。これがちょうど良いのか否か。昼食の量を抑えれば間食を摂れたのか、もう少し摂れば程よくスポドリで収まったか。一食を抑えて間食を摂るべきか、真に程よい満腹になるべきか。

恐らくどちらも真を突いていて、程よく抑えて程よく満腹にならないといけないのだろう。爽快な食欲がない以上、その時その時で快い満腹は変わる。それぞれの状態で程よく摂るべきだ。

食後感がいまいちなのはその前の摂取による。食欲不振も煩わしいけれど、程よく摂ればすぐ消化されるところ。

 

次の診察で話したいのは、ドグマチールに代わる抗不安薬と、トリプトファンサプリメントについて。『脳腸相関―』で初めて機能性ディスペプシアに適用できる他の抗不安薬を知った。「タンドスピロン」というそう。それはセロトニンの受容体の活性剤のよう。ドグマチールセロトニンにまつわるはずでも、こちらの方が作用機序も理に適うもののはず*1

トリプトファンセロトニンのもとになるタンパク質で、それが効いてくれないかと思う。いわゆるプラセボ効果もありそうで、本当に効くと思っていれば効きそう。それは予期不安の逆のようなものか?アコファイドもアセチルコリンにまつわるもので、それもセロトニンがもとのよう*2

『脳腸相関―』には色々な神経伝達物質が紹介されているけれど、セロトニンにまつわるものが本質の原因だろうか。でも、ストレス反応が真の原因なら、食欲不振も下すのも正常だ。そこを化学物質で制御するのは悪影響がありそう。でも、生活は変えられない。それをどう捉えるか。

11月5日(土)

今日の計測では微減。百グラムの減で、このくらいで収まってよかったか。今日は夕食でよく摂れたけれど、朝と昼では失速があった。恐らく夕べに食べすぎていて、その負債がわずかに残っていた。

食欲が微妙ななかで満腹になっていたか。たしかにその後のスポドリが溜まっていた。朝は抑えたものの、その後の空腹が爽快でない。それで昼の状態が悪かったけれど、そこで無理しなかったのが良かったか。

 

程よく摂ったつもりでも、微妙に満腹になっていたりする。食欲が微妙になることはある。昨日は昼すぎに水を飲んだのが溜まっていた。昼食後はスポドリを二回飲めるときもあれば、一回しか飲めないこともある。水が飲みたくてそうなるのはきつい。そういうときはどうすべき?

夕べの寝るときに考えたのは、「食前の状態を感じ、食後の収まりを見極める」ということ。ゆっくりと摂り進めるなかで、薬で水を飲んだ後を想定する。程よい塩梅で早めに収めておくこと。その満腹感を程よく抑えられた場合、間食を摂れるはず。今ならヤクルトだろう。

 

それが上手くできたら良いけれど、今日は状態が落ちていたから出来なかった。食欲がないときこそそうすべきでも、現実の摂取量を許容できないのは仕方ない。

それはそんなものだ。まずは意識的に食前の状態を感じ取り、真に程よく収める。すると次の摂取に繋がり、今度は食欲が増す。ここでも同じように程よく摂れば、だんだんと胃の力が増すはず。このサイクルでいきたい。

 

話を変えると、あるコンテンツを見ていて知ったのが、某ショッピングモールのネットスーパのこと。近所のスーパーも宅配してくれるけれど、登録して電話注文しないといけない。

その一方、この片田舎でもそのスーパーは届けてくれるそう。それもわざわざ県庁所在地からだ。それでも対象の範囲内にある。決済も先払いのVISAカード(バンドルカード)で済ませられる。送料は数百円で、タクシーや自家用車より格段に安いのでは?

 

買い物も在宅で済み、役所関係もだんだんとそうなりつつある。自立して生活するのにおいて、外出は通院くらいで済むのではないか。それで健康を害さず、かつ稼ぐことも出来れば、もう本当にそうなる。前者に全て持っていかれるけど、最低限の生活さえ出来ればよい。

何を思うかというと、稼げれば自立できるということで、それさえ整えば誰からも侵害されなくなる。その対象は家族で、この家での生殺与奪の権を握られているのが弱み。こちらが関係で不快・不機嫌になった場合、相手は必ずそれを盾に取る。

それが本当に煩わしい。自分の性格はどこから継いだのか、両親とそれが全く違う。知的レベルもそうで、快不快やコミュニケーションの取り方も違う。こちらが不快を与えているかは知らないものの、とにかく色々なことで腹が立つ。会話の回転が違うし、内向と外向が合わない、筋道立てて会話が出来ないなど、もう機嫌が合わない。

「そういうことは止めて」と言うと、それが相手の自然体なため、人格を否定されたと受け止められる。すると「買い物へ連れてやらない」と質にとられる。本当に馬鹿馬鹿しい。これを知ったとしてもむくれて同じことをするだろう。筋道立てて話せば最早ヒステリーを起こす。「講釈が」とか、「ああぐちぐち言うな」とか言うものの、であればまともに冷静な講釈を返してほしい。本当に情けない。

 

今日も昼にサッカーの中継が放送されていて、それについて「二時間も見ていれば疲れてしまう」と言うと、意を得たような間と表情で、「ほら体力がない」と泣かば嬉しそうな感じを出している。本当に腹が立った。

それを責めるように言って何になる?親としても責務をそこまで誇示したいか?少しでも権威を削がれたくないのだろう。だったら何で義母には世話をする?義母は対価を払おうとするくらいでも、それを頑なに拒む母親。

自立自活が出来ないのは自分と同じだ。なのに祖母には無条件で世話をしてあげる。自分の病苦も不自由も知っているはずなのに、こちらでは頑なに自立を煽る。それは自然のことであったとしても、こちらはもうどうしようもない。

口を開けば「買い物が出来ないから」と言う。それは仕方ないのだから責めないでくれ。だけれども、もう買い物へはでなくてもよい。そうなるとやはり残るのは自活。金銭さえ手に入れられたらよい。通院もタクシーを乗りこなせばよい。そういう人生なのだから、もう責めないでおくれ。そういうちくちく発言が堪らない。コミュニケーションが合わない、外向・内向が合わない、機嫌が合わない、プライバシーが被っている。

 

詰まるところ、早く祖母宅に引っ越したいし、早く稼ぎたい。それだけだ。一人で暮らしたいとは言わないものの、それに近い生活をしたい。何とかならないものか。一人暮らしを謳歌している人はどんな心持ちか。自分はそれに適のか否か。それが分かるのは二・三十年後か。

 

*1:『脳腸相関』P89より

*2:アコチアミド - Wikipedia