欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

恐らく自家中毒になって危なかった。近況の全て

体調が回復したのかしないのか、余裕があるときに記しておこう。一食ではほぼ一膳を摂っているはずでも、体重は増えない。というか頭ががんがんしたりする。

貧血なのか低血糖なのか、きついときは食間で卒倒しそうな感じもあるか。以前にはなかった状態。まだ摂取量が戻っていないのか、身体がおかしくなってしまったのか。

到底散歩へは出られないし、買い物にも行っていない。その食間のきついときでは、部屋で活動するのもきつかったりする。YouTubeを見るだけでもそうで、次の診察は耐えられるのか。本を読むのもやっと。どうしてしまったのか。貧血か低血糖か、はたまた甲状腺の何か?それとも重大なもの?採血すら勧めないドクター。

 

ブログの最終更新は、先月の12日のことまで。その後はTwitterに書いていたけれど、フローの更新に意味を感じなくなり、こちらに格納しないでいた。その更新は16日まで。コロナのワクチン接種の前日。

14日が診察の日で、その日の夜はよく摂れていた。そして翌朝もよく摂れる。でも、そこからそれを加速させようとしてしまう。いつものそれが始まり、食べすぎから不調の波が生まれる。接種前日の夕は普通に摂れたけれど、その翌朝、接種当日の朝に自家中毒になりかける。

 

よりによってそんなタイミングだ。体力が落ちていたからそうなったのだろう。明け方に目覚め、そこから布団の中でもぞもぞし、いざ起床すると何だか辛い。食欲のなさが拭えないし、座ってスマホを見ていると胸が苦しくなる。その時点でもう全く摂れそうになく、諦めてポカリを一口飲み、ひとまずまた眠ることにする。

そこから一時間ほどうたた寝し、また起きると少しは楽になった気がした。でも、朝食を全く摂れそうにない。ヨーグルトさえ口にも含めない。それくらい強い違和感があり、夕方の接種は諦めがつく。そこで母親に告げる。

 

身体はきついのに頭だけはとにかく働く。ワクチンを打てないこともそうだし、このままだと死ぬかもしれない。もう痩せる肉はない。その現実を鋭敏に客観的に捉える理性。でも、いま思えばそれに助けられたか。そこで違和感の原因を考え、ケトン体が増えた可能性を思い付く。

過去に一度そうなったときがあり、そのときは一週間ほど入院した。その再来がよぎったものの、まず検索して解決策を調べた。そういえばその治し方は調べていなく、点滴しかないと思っていた。でも、それは経口摂取が出来ない場合のことで、口から摂れるなら自己治療も可能だそう。その一つがスポドリをまめに飲むこと。その情報と母による在庫に救われた。

自家中毒症(ケトン血性嘔吐症)は、診断名というより一種の状態の名前ですが、病因は明確ではありません。風邪や疲労・過度の緊張等の外的ストレスが加わった場合に、本来エネルギー源にすべきブドウ糖がうまく利用されず体内の脂肪をエネルギー源とする代謝状態になった時、そのもえかすとして溜まってくる 血中ケトン体が増加した状態です。

こどもの病気について|ケトン血性嘔吐症について|兵庫県尼崎市の小児科(低身長、肥満、糖尿病、小児内分泌など)【徳田こどもクリニック】 尼崎・豊中地域でこども達のサポートをしています。

とくに夕食をとらずに眠った翌朝に起こりやすい、

アセトン血性嘔吐症・周期性嘔吐症・自家中毒 | 那珂川市の小児科・内科・眼科『江副クリニック』福岡県那珂川市

ストレスと栄養不良が重なり、そこで体内のエネルギー源を用いた場合、その燃えかすとしてケトン体が増える。この状態を俗に自家中毒という訳か。以前に入院したときも、ドクターに手の甲の皮膚を触られて、「この肉を使ったから」と言われた。幼児用の点滴室しかない病院だったから、小さなベットで膝を曲げてそれを聞いていた。寝ながら冬の青空を見ていて、どこか心地よいのが複雑だった。

前日も寝る前にポカリは飲んだけれど、布団でもぞもぞしていたのがいけなかった。まさかそれでこんなことになるとは。それが運の尽きだったか。親愛なる人と暮らしていれば元気になる?それですら回復しなかったらもう分からない。所属する場所などない。

 

午前の九時くらいからポカリをがぶ飲みし、昼頃には楽になっていたはず。でも、胃の機能ががた落ちした。固形物は摂れそうになく、メイバランスを飲んだものの、夕方くらいまでそのバナナ味のげっぷがする。その間もポカリしか飲めないし、心臓が止まるのが怖かった。理性はとにかくそれを理解してしまう。

夕食では流石に胃から引いていて、おにぎりを五口くらい摂る。それで少しは落ち着いたものの、まだまだ理性は落ち着かない。寝るぎりぎりまでスポドリをのみ、マウスウォッシュをしてすぐ眠る。こればかりは闇夜が怖かった。頻脈も危なかったし、夜中に怖くて目覚めときも、またスポドリを飲む。

 

そこから二、三日の間は、徐々に右肩上がりで良くなったはず。そこで一度風呂にも入った。でも、これまたコンプレックスの仕業で、すぐに調子を底上げしようとしてしまう。

これは理性の悪いところで、対外的なリスクを考慮したからだった。コロナが怖かった。それに抗う体力をつけようと、頑張って摂ってしまった。結果的にそれが回復をかなり遅らせた。

それでもコロナは施設や病院を麻痺させ、弱い人を殺してしまう。それをわかったうえで議論していますか。 | Books&Apps

はてなで話題になったコロナに関するエントリーに触発された。いや、それを受け止めた理性が悪いか。それにまつわる議論は傍観するだけだったけれど、色々と考えるなかで、あるコメントが目についた。

自分で食事が出来なくなったらそれはもう生き物としての寿命だ、という思いはある。介護職の方にスプーンで口まで持ってきてもらったり、ましてや胃ろうを施してもらったりしてほしいとは思わない。

このコメントは老年性の終末期についてのもの。いま思えばそうだけれど、自分にも深く突き刺さった。広く拡大すれば、生き物の生命力と医療についてでもある。

それでも、ここで「自分の力で食べられないといけない」と解釈したのがいけなかった。自分はそこに問題ないのだし、美醜についても何も思わない。生に執着するからこうなるのだし、筋骨隆々になりたいくらい。死の床に着きかけたからコンプレックスとなり、それが理性の暴走となっている。

徐々に胃の力を戻さないといけないところ、少し良くなっただけで急激に頑張ってしまう。「生命力がない生き物は死ぬものだ」と頑張った結果、それによって生命力が陰る始末。何なんだこれは。

 

おまけにその頃は五重苦くらい立て込んだ。その自家中毒の午前、寝ながら「最悪は地元の病院で点滴すれば良い」と考えていたものの、病院のホームページを見ると、 まさにその日から「クラスター発生による外来停止」とあった。最悪すぎた。おまけにその数日前、母親が祖母の通院でその外来へ行った。これも頑張って摂取することにも繋がった。入院でもしたら本当に死ぬ。それがはてなで話題になったエントリーの内容そのもの。

ワクチンを打てず、いつそれに罹るか分からない。入院は地獄の阿鼻叫喚の入り口。その前のドクターとの診察を後悔したし、ディスペプシアの治療法は誰も教えてくれない。それでケトン体が増え、頻脈が起きたらそれでも死ぬ。父親の衛生意識は低い。そのときの絶望は大きかった。今もたまたま生き延びているだけ。

 

頑張ったことで回復は遅れ、また更に一週間ほど不調だった。その頃は風呂にも入れなかったし、体重も分からない。今は大台から一キロと少しの減で留まっている。以前と数字では変わらないのに、身体の辛さが違う。何がおかしいのか分からない。糖か鉄分が足りないのか、ケトン体の後遺症か。

歩く体力もなく、本も長く読めない。この頭のきつさがなくなれば良い。やはりまだ食べられていない?目の下のくまというか、その部分が濃い真紫になっている。それは何のせい?ただの栄養不良か疲労?よくある自律神経失調?YouTubeを見るのがぎりぎりのときは、目の疲れが強かった。それも関係あるか。

目の下のくま対策!~①紫・青のくま | 名古屋 昭和区 いりなか眼科クリニック

 

今回でまた自立が遠のいた。金銭も稼げないし、自分の世話も出来ない。そもそも食事すらよく摂れない。もう滅茶苦茶だ。

自家中毒の当日の午前、母が買い物へ行くとき、「早く帰ってきてくれ」と言ってしまつわた。情けなくて仕方ない。それに母は「この家に居ても何も出来ない」と言う。それは本当にその通りで、それに頼らないと心細かった。稼げない、世話を出来ない、頼れない。

「自分で金さえ稼げれば良い」と思っていたけれど、それも無理そうだ。これが何を意味するのだろう。オンライで稼げようが、食品を宅配してもらおうが、まともな生存すら難しい。一人暮らしなんて到底できない。かといって、誰かがいてくれても元気にならなさそう。

 

まだ他にも言いたいことがある。言う時期を逃したものもあるけれど、親の衛生意識、そこから考える性格の違い、役所の怠慢、生命力と医療とコロナ、人生の記録、ディスペプシアとがん悪液質、理性と本能・意識と無意識、時代と精神論、生への執着について。

それら全てをここで記したらかさむ。一つ一つをコンテンツにしても良いけれど、もうここで記す意味はなさそう。読んでくれる人も居ないし、場所にも適わない。基本的な文章の訓練にしかならなかったか。それはここで諦めたらそうなる。

WordPressに移行し、色々な情報発信をする。その原液やフローの更新はTwitter。それを格納するのがブログ。コンテンツ製作能力を上げ、市場で評価される。もうそれだけで何とかなるのではないか。後は課金のシステムがある場所に移動する。

発信で得たファンから対価を貰うこと。今までは旧来の尺度で能力を測り、ポテンシャルがあってハイパフォーマンスを出来る人しか評価されなかった。だからそんな人しか稼げない。そういうメジャーシーン以外にも、ニッチなシーンでメディアやコンテンツを作って稼いでいる人がいる。市場と評価が開かれた世界。

市場でフローコンテンツを作り、評価を得られるようになれば場所を変える。ここではそれが出来ない。問題は自分個人にある。

 

辺りは遅い初雪が積もったけれど、一歩も外へ出ていない。そのフラストレーションがないのは消耗の証か。次の診察では全てを出し尽くさないといけない。そして新しく予約したコロナの接種日はクリスマスイブ。父もその前に接種する。そこまで罹らなければ万事良いか。でも、そのクリスマスイブに打てるかは分からない。頭がきつければ駄目だ。

姉が帰省するかもしれないし、それなのに彼女は二回しか打っていない。副反応がきつかったせいか。これだから役所が三ヶ月ペースで接種を進めれば何とかなった。そうなってからも五ヶ月ペースで接種券を送っていた。いい加減にしてくれ。みすみす市民の命を損なっている。何が「年始には打ち終わりたい」だ。

そしてその前に父親は忘年会に招かれたと言う。同じ面子で自分の葬式にも参列することになるのでは?断れない父親に男気がないし、かといって厳重な意識を持っているわけでもない。全て割り切っているのか、悲しみに暮れることになるのか。後者であるなら行動が伴っていない。

 

こうなると時代や生命力、精神論に行き着くけれど、もういい。天命に委ねる。生に執着しているのは情けないですか?はあ。皆さんはどうかご無事で。